「ダメ人間」の履歴書。

働くの大嫌いな俺様がイヤイヤ働いてきた記録。

第5章 豆腐屋

さて、また仕事を辞めてしまった俺は求人誌を眺めていた。
この頃の求人誌は掲載量が多くて分厚かった。
読み終えるまで時間がかかった。
いくつかめぼしい求人をみつけ、電話してみたが、話中でつながらなかった。
すでにバブル崩壊後で、景気は悪化していた。
掲載量は多かったが、求職者も多かったのだ。

やる気の無い俺は電話をあきらめ街へ出た。
若い頃の俺は歩くのが好きだった。
仕事も無くヒマな俺は散歩するのが趣味になっていた。
自宅から少し離れた豆腐屋の前を通った時、みつけてしまった。
豆腐屋の求人を。
仕事内容はよく分からなかったが、朝早い事は想像できた。
早起きだけは楽勝の俺である。
店のオヤジに話すと、いつでも来ていいという。
なので、明日から働きに行くことにした。

仕事はあたりまえだが、豆腐作りだった。
豆を煮てニガリを入れて豆乳を絞る。
ガリはフレーク状のものを使っていた。
豆乳を投入(シャレじゃないよ。)する時、泡立ってしまうと商品にならない。
そこで「泡カット」なるモノを入れる。(消泡剤っていうらしい。)
身体にイイものかどうかは分からん。

で、豆腐が出来上がるわけだけど、ここまでの過程で、端っこをカットしたりする。
これがのちのち油揚げになる。
もしくは作る過程で形が悪いものは潰してしまうのだが、これがのちのちガンモになったりする。
豆腐の製造には無駄が無いのだ。

そこの豆腐屋は「おいしい水で作った」のが売りなのだが、実際は「おいしい(と思えなくもない)水道水」で作っていた。
まぁ、おいしい水の定義は様々だから、これはこれでありなのだろう。

ここにパートのオバサンが働いていたのだが、選挙の時期になると、「公明党をよろしくね。」と始まった。
創価学会との初めての接点だった。
だけど、この頃の俺はまだギリ選挙権が無かった。
俺の実家の菩提寺臨済宗の禅寺で、俺もかるーくではあるが禅を学んでいた。
同じ仏教系でも、創価学会の教義は俺には受け入れられなかった。(まぁ、信教の自由が保証されてるしね、好きなモンを信じたらいいさ。)

ここでの仕事中、ちょっとしたミスで怪我をしてしまった。
仕事中に怪我をしたのは初めてだった。
指を挟んで爪の半分から先が剥がれてしまったのだ。
患部を見ると、下にもう一枚薄い爪のようなものが見えた。
一週間もすると、下の薄い爪と上側の爪が一体化してしまった。
まさか、こんな治り方をするなんて。
爪てぇのは皮膚が硬質化したものだそうだ。
だから治り方まで皮膚と一緒なのか?

怪我をしたりと色々あったが、しばらく続けたこの仕事にも終わりが近づいてきた。
オヤジが亡くなったのだ。
葬儀に参列した。
人生初の葬式。
でも聞いていたのと何か違う。
オヤジも創価学会だったようだ。
坊さんがいない。フツーのオジサンたちが法華経を唱和してる。

その後、経営者が変わったり、後継者と折り合いが悪かったりして、辞めてしまった。
今もあるのだろうか?でももう場所も思い出せない。